木村美都子税理士事務所 木村昌宏税理士・社労士事務所

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2021年05月19日
僕の履歴書② 二代目税理士

前回は私の生まれのことを記載した。
今回は弊社の二代目税理士であり私を産んだ母にフォーカスをしてみる。
父についてはあえて秘密のベールに包んでおくことにする。

母の身長は169センチ。昭和26年生まれとしては規格外に大きい。私の身長が178センチであり、青年男子の平均身長よりは5センチ位大きいのだが、「私が産んだのに思ったよりも大きくならなかった」と、身長の話になるといつも不満を言われ困っている。産んだのもあなたなら、育てたのもあなただし、父の身長も平均なので、もはや私にはどうすることもできない事由である。本人は半分冗談のつもりなのだろうがなかなか迷惑な話である。ちなみに、弟も平均身長である。男性陣の中では私は頑張った方だ。

写真は私を産んで少し経った位のもの。もちろん本人には内緒で掲載している。許可を得ようとしたらおそらくNGが出たであろう。元々は専業主婦。大学進学も親から反対をされていたようで時代を感じる。私が沼津に引っ越してくるきっかけは、関連会社の不動産部門のポストが空き、そこに父が入ることであった。異業種にいた父が不動産会社の社長になるためには宅建の取得が必要だった。

あまり勉強が好きではない父が万が一試験に落ちると困るので、母も一緒に勉強・受験をしたらしい。結果は両親とも無事合格。その後、その不動産会社は弟が継ぐことに。私も宅建の資格を学生時代に取得したので、木村家は全員宅建を持っていることになる。
母は父が不動産会社を継げたので不動産会社をやることはなく、引き続き主婦であった。

元々二代目の税理士としては、母の兄がいた。税理士資格も持っていたのだが、諸般の事情で継ぐことが難しくなった。このような事情から急に白羽の矢が立ったのが母であった。もちろん、その当時は税理士資格はない。当然取得の必要があった。リアル四十の手習いというやつである。私の記憶はもう曖昧なのだが、なにやら勉強を始め、色々な所に通い始めていた姿は鮮明に覚えている。私も部活やら勉強やらで余裕があった時期ではないので、その位の認識であった。今私が43歳。同じような時期に勉強を始めたことになる。私自身は勉強好きでずっと勉強をしている感じなのだが、四十で税理士資格を取るために急に勉強を始めるのはやはり大変だったと思う。オンライン講座もない時代のことである。この話が年齢がいってから何かに挑戦しようと思っている方の勇気に少しでもなっていたら嬉しい。こうして私が税理士になる道も決まっていったのである。

ちなみに、長身で進学校出身、髪型も刈上げメッシュという母。厳しそうなイメージを持たれる方も多いようであるが、人として正しくということ以外はほとんど口を出された記憶はない。むしろ、あなたの好きにしなさいというスタンスである。経営についてもほぼ同様で、戻って以来、好きにやらせてもらっている。会計や税務はもちろん、経営支援にも力を入れられた理由はここにある。経営支援業務への挑戦については今後詳しく触れていく。お伝えしたかったことは、人が持つイメージよりも母はユルいということである。

二回目なのに僕が母の履歴書になってしまったので次回は、私の幼少期のことを記載したいと考えている。

(税理士・社労士・経営者)=題字も筆者

※ 母の昔の写真がおもしろいと思うので、以下、別途掲載します。

専業主婦時代の木村美都子

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