木村美都子税理士事務所 木村昌宏税理士・社労士事務所

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2021年06月16日
僕の履歴書③ 木村少年の友

1回目に出生のこと、2回目は2代目税理士で私を産んだ母のことを取り上げた。3回目の今回は私の幼少期のことを書きたいと思う。正直、幼稚園入園前までの記憶はほとんどないので覚えている範囲や後に聞いた話でのこととなる。

東京では世帯多めのマンション暮らしをしていたので、目の前に併設の公園があった。母が車の運転をできないこともあり遠出はできず遊びは専らこの公園。びっくりする位この公園。しかもほとんどが砂場。公園内の遊具は砂場、滑り台、鉄棒、そしてブランコ。幼稚園入園前だと鉄棒、ブランコはあまり使えないので、ただひたすら砂遊び。自分の強みであると思っているあきらめずにやりきる力は砂場で形成されたと言っても過言ではない。夏の暑い日も、冬の寒い日も、春のうららかな日も、スポーツの秋でも、私の遊び場は砂場である。もちろん、冬は手足にしもやけができる。どんなにしもやけができようとも遊び相手は砂である。こう書いていて気付いたのだが、ただひたすらに砂場に連れていく方も相当にしぶといと思う。

そんな砂が友だちだった私も幼稚園の入園の日を迎える。友だちは砂しかいなかったので当然登園拒否児である。私の中での一番の鮮明な記憶は幼稚園に行きたくなくて泣いたことだ。無理やり抱きかかれていった記憶だ。でも人間の環境適応力はすごいもので、それも最初の数回だったはず。こうして私も徐々に人としての営みを覚えていった。幼稚園生活の記憶は総じて楽しいものばかり。ネガティブな記憶はほぼない。あるとしたら、文字の練習が学年が進むにつれて始まり、全く上手に書けなかったということくらいだ。今の私の字を見ると、当時から線を上手に描けなかったのはよくわかる。また当時は左右もよくわかっておらず反転文字が多かった。先生に見せに行ったら添削をされた記憶がある。子どもながらに若干凹んだ。お手本を模倣しただけなのに間違えるという。その教訓からか、今では日経新聞を模倣できるまでに成長した。

情けない話ばかりだと木村少年がかわいそうなので、良かった面にもフォーカスを当ててみる。私の記憶が確かなら、知能テストは良かった、らしい。園長先生に言われたと母から聞いた記憶がある。しかも神童級と言われたと。その真実は今が全てを物語っている。神童を名乗れない代わりというわけではないが『沼津の頭脳 黒字の黒子』と自らキャッチフレーズをつけ以前から流行らせようとしている。名乗るのはタダだ。

幼稚園生活で他に鮮明に覚えているのことは、演劇発表のことだ。キリスト系の幼稚園だったこともあり、演劇と言えばキリスト誕生の話である。当然、登園拒否児あがりの私の役は端役。しかも端役中の端役。眠る羊の役である。もちろんセリフはない。全身白タイツである。


ボールはともだち、ではなく
良さそな砂はだいたい友だち

当時から真面目だった木村少年は最高の眠れる羊を演じようと懸命に練習に取り組む日々を過ごしていたのであるが、ここで事件が起こった。なんと、チャリでこけて顔に青アザをつくってしまったのである。大舞台を前に一生の不覚である。調子に乗ってジグザグ運転をした結果ハンドルを取られ顔から地面にダイブしてしまったのである。こうして端役すら全うに演じることができないまま舞台の幕は静かに下りていった。
(税理士・社労士・経営者)=題字も筆者


白い羊&まさかの幼稚園でも砂遊び

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